だから、心を磨くしかない

 職場で、仕事をしない事が流行している。否、それなりに彼らはしているのかもしれないけど、“しているように見えない”のだ。挙げ句の果てには同僚に、「やすのさん、そんなに仕事しないでください。みんな、それくらい出来ると思われてしまいます」等と言われる。私は、思わずこう答えた。「お金を貰って働く以上、当たり前の事です」。……ちょっと言い方が冷たかったか。

 まぁ、実際は全員が全員私のような仕事の仕方(複数の事を同時に進行する事によってしか仕事が捗らない)をする訳ではないのは、みんな分かってると思うのだが、新部署の仕事を始めてから2週間程度の人間に、責任の発生する仕事を気軽に任せるのは止めて欲しい訳である。実際、十数日前、職場で自分の発言に重みを持たせる為には、成果を先に出すべきであると日記に書いた訳で、そうした結果の弊害が今ここに来てると言えばそうなのかも知れない。しかし、出来ないリーダーの仕事をこっちに乗っけられるのは、ちょっと納得が行かない。それで、朝から大変イライラし、また夕方に図に乗ってそれ以上の事(教育の担当をしろとかよー)を言って来たので、本気で他のリーダーにクレームをつけていたのである。


 そんなこんなで、今夜VOICE ROOMに到着した私は、全身から静電気が発生しそうな勢いだった。滅多にない事だが、乾杯の1杯目は落ち着く為にホットミルクをお願いした。カクテル自慢の冨澤さんのスペシャリテを差し置いて。

 今夜の、ロイ シェフのコースは、こんな内容だった(と思う)。スパイスの練り込まれたパパド、クリーミーで辛く美しいサラダ、サトゥキルティ、タンドリーチキン、野菜のパコラ、ダールカレー、小海老のカレー、サグパニール、チャイ。どれも鬼気迫る、どれもこれまで食べた似た料理を軽く自由に飛び越える技術力で、同席者の瞳孔を開きっぱなしにさせた。名前を並べれば、よくある料理ものばかりだが、経験しなければ分からないような新しさと衝撃で打ちのめされた。

 料理を作り終えたロイ シェフがテーブルにやって来た。サトウさんが、「ロイさんの料理は、正に僕が作りたいと目指している料理そのもの。だけど、それを作るのはとても難しいんですよね」と日本語で言うと、ロイ シェフは英語で、「いや、作り方は簡単なものだけど……、ただ、みんなに美味しく食べてもらいたいと思って作ったよ」と言った。あぁ、やはり、料理は心で作るものなんだ。文字では表現しきれない気持ちを、同席者はみんな味わった。

 帰り道、空気は冷たく澄んで、すぐそこまで降りて来たオリオン座が私を見下ろしていた。だから、心を磨くしかない。私には何も出来る事はないけど、ただ曇りがちな心を、毎日休まず磨くしかないのだ。私は、またロイに大きなプレゼントをもらった気がした。