人は愛されたようにしか愛せない

 この間、カウンセラーT主任に言われた台詞が、今日になって頭を回って仕方なかった。常々、私は「愛とは自分の正義を押し付ける事」と思って毛嫌いしているが、かく言う私の愛情表現が、暴力的ではないかと言ったら、「断じてそうではない」と言いきれる自信がない。その証拠に、私は自分の正義を守る為に、多くの物事や倫理を犠牲にして、半ば意固地に生きているではないか。自覚はある。

 とは言え、日常生活の中で、そういう私に気付いている人は一握りで、多くの人は私の許容量の広さに驚いている。だから、と言うか、逆に許せる事が多い分、許せない所は絶対に譲れないのだと思う。ある意味、そこは“最後の砦”的な場所。自分で意識して分かっている所は、その話題も出さないように心掛けているが、自分で意識していない所もいくつかあって、爆発後、冷静さを取り戻した時に「ヤレヤレ」と思う。

 確かに、私はこれまでの多くの時間、暴風雨のような愛情を受けて来たけど、太陽のようにだって、森の樹の芳香のようにだって愛された事はある。だから、そう言う部分をもっと多くして行けたらいいんだと思う。ゆいちゃんのおかーちゃんみたいな感じかなぁ。



 今日は、もらったり資料として買ったCD&DVD、撮ってもらった画像データ&映像データを整理。何が入ってるか分からない物は、Macに入れて確認後ラベリング。プラスチックケースは100個以上捨てた。11時前から始めて、途中で2回食事したけど、終わったら23時って! メチャメチャ疲れた。でも、もの凄く片付いた(気がする)。