島での日々、それは誰にとっても夏最高の思い出だった

 納涼船に乗って来た。去年だが、山崎さんが東海汽船の社長に就任し、そのお祝いを私の社カメ時代の先生、伊林さんが仕切ってやったらしい。それのお返しの会だった。参加者は14名。東海汽船+代理店O+Sスタジオの約30年の付き合いの中で呼ばれた人が14人で、そこに自分が13年ぶりに呼び出されたって事にビックリした。


「ご無沙汰してます」
「あれ? 誰だっけ」
「山崎さん、やすのですよ。ほら、大島の砕石場で、ショベルカーに『どけっ』ってクラクション鳴らしながらアクセル踏んだ」
「あー。あの恐怖は一生忘れないな! でも、随分痩せたなー。あの頃は、もっとガッチリして、腕も尻もでかかったよなー」
「はははは。そうですねー。あの頃は、顔もお腹も全部パンパンでした」


 63才になったと言う山崎さんは、ちょっと痩せたな〜って感じたけど、全日本アメフトの元キャプテンの風貌に変わりないマッチョマンで、日焼けで真っ黒の肌に白い歯で豪快に笑っていた。


 約2時間の遊覧中、これまでの広告制作の裏話や、思い出話は尽きなかった。O社の社長(ではなかったかも)が、「あの頃、『まあまあの仕事だな』と思ってやってたけど、振り返るとあれ以上にいい仕事、楽しい仕事ってやれてない気がする」なんて言っていて、何となく解る気がした。「時間があったから、みんなで身体鍛えたりしてたなー」なんて。笑ったなぁ。

 私自身も持っていない、私のアシスタント時代の名刺を持ってる人がいて仰天した。