泣きながら暮らして行くと言うこと

 前にここに書いたか忘れたが、私はネット上のブログを、公開、非公開含めて7つくらい書いている。ブログがまだ3個くらいだった頃、はてなが私の毒吐き場として使われていた。もちろん、本当に言いたい事を書いては来なかったが、それでも書かずに日々を過ごす事は無理なので、とりとめのない事を書いていたような気がする(何年も振り返って読んでは居ないのだけど)。

 数ヶ月前から、ずっと薦められていたPTSDの治療に入った訳だが、予想はしていたが、劇的によくなったりはしない。治療の初期段階で言われたように、私の問題になっている点は、日常に根付いたものと、両親、親族との関係に因るものである。事故や災害に因るそれとは違って、何度も似たような状況に置かれては、回復を妨げる。

 「このまま酷い状況が続くようでしたら、親族との接触を完全に排除する事も選択肢に入れて下さい」と言われ、私は最初、ちょっと惑ったが、最近はそう先生が行った意味も解るようになって来た。

 ……多くを書くのはよそう。

 今夜も、泣きながら過ごしている。泣いているのは夜だけではない。朝も昼も、ほっと一息つく時間は、常に涙の衝動と闘っている。

 最近思うんだけど、みんな、言っていないだけで、本当は泣いて暮らしてるんでしょう? 自分を殺している時間以外は、そうやってやり過ごしてるんでしょう?


 今日は、ひかるちゃんの部屋に行った。猫のカーターに引っ掻かれた。