っていうか

 3/4〜19に開催されていた、藤原靖子個展も大盛況のうちに無事終了したようです。……っていうか、本当の意味で無事だったのかと言ったら、とてもそうだとは言えなかったんじゃないかな。

 靖子嬢の期間限定ブログ藤原靖子の付録(終わったら、削除されちゃうのかしら? それとも更新を止めるだけなのかな?)の2/28 "RAIN"にも書かれている事だけど、展覧会直前に起きたクレーム事件の事。本当は、展覧会会期中に書こうと思ったんだけど、忙しくて……(“心”が“亡くなる”って意味で)。で、今更的ではありますが、書こうと思います。


 細かいクレームの内容や経緯は分からないのだけど、私なりの解釈によると、「貴方の作品は、我が社の雑誌デザインに酷似している。侵害ではないの?」と言うものだったんだと思う。このクレームに、彼女は前向きに対処し、直前になって作品を新しく作り直した。新しく出来た作品は、会場により馴染む物になっていて、結果的には良かったのじゃないか、と言う意見を多く聞いた仕上がりになった。

 私はこれらの出来事を、全てが終わった後に聞いて小さな違和感を感じた。アメリカと日本という文化の違いなのだろうか。例えば、芸能人などは、誰かに物真似される事によって、その人のオリジナリティであったり、知名度の高さを証明していると言えるだろう。そして同時に物真似師が何処かでそのパフォーマンスをする度に、ご本人の宣伝活動の一部にもなるだろう。今回のこれらの作品だって、普段女性誌を読まない層にも知られるというようなメリットがあると思うし、商業的な意味で言って、二者は完全に別の所に存在している。某雑誌社は営業の妨害になる可能性を秘めていると、感じたのだろうか? クレームを出した事による、イメージダウンはあっても、何処かの層に対してのイメージを守った(もしくは、向上した)とは、よく考えてみたつもりなのだが、そう思えない。それとも、何らかの商業的ダメージを食い止めたのだろうか。それもちょっと考え辛い。全く持ってよく分からない。私個人の意見としては、「某雑誌社(の弁護士)、ちいせぇなぁ!」と言った所だ。

 某雑誌でも、“アート”とか“アーティスティック”とか言う単語が連発されていたりする訳だが、実際の所、彼等の伝えようとしていたご立派な“アート”と言うものが何なのか、知識の浅い私にも分かるように、誰か説明してくれたらな、と思う。アートと言うのは、誰の為に、何の為に、どうして在るのか。

 しかし、今回の事件を靖子嬢にとってよく捉える事も出来るだろう。この事件によって、より意味に深みが出たのではないだろうか。何故ならば、私達にはしっかりと“それ”が見えているからだ。何を伝える為にこれが生まれたのかと言う事を、何度も問うたと思う。消される事によって、よりハッキリと目に見えるものがある。沈黙すればする程、心に響いてくる声があるのだ。「JUMEAUX OBSCENESは湾岸戦争に反対します」(分かる人にしか分からない台詞で締めてごめん)。

 まぁ、何よりも、予想を超えて沢山の方々にご来場いただき、楽しんでいただけたと言う事が、素晴らしい事なんでしょうね。こんな事を書くなんて、私も“ちいせぇ”って話ですか?