喜ぶ練習

 私が二十歳の頃、姉貴に言われて喜ぶ練習をした。喜ぶ練習をする人なんて居ないよ、って時々人に言われるのだけど、私は本当に“物を貰って”喜ぶと言う感情表現がとても苦手。

 その頃、私は両親に、「物を貰い過ぎる。断りなさい」と怒られていた。とは言え、くれると言う物を断ると言うのも、やっぱり苦手で、裏庭の軒下に貰った物を隠して、夜中に部屋に移動させるという訳の分らない事をしていた。そんな背景があって、姉貴にお小遣いや物を貰っても、上手に喜ぶ事が出来なかった。

 姉貴に、「人はその人に喜んでもらいたいからあげるんだよ。表面だけでも喜ぶ練習をしなさいよ!」、と言われて、私はハッとした。くれた人を喜ばせたいと思うなら、喜ぶ顔が出来てないといけないんだ、って(苦笑)。結構当たり前の事だ。

 それは、姉貴の手伝いに行った帰り道で、川西も一緒だった。早朝、祐天寺駅に向かう商店街で、私は川西に見てもらって何度も練習をした。数分で上手になる訳などなく、「ぎこちないねぇ。そのうち上手になるよ!」と、慰められたのを覚えている。

 それから暫く、私は鏡の前で喜ぶ自習をした。それで、大分上手になったような気がしていたので、それ以降はしなくなった。最近、松村君に「康乃さんの喜び方は変だ。普通、大人はそういう喜びの表現はしない」と言われてハッとした。また練習しなくちゃいけないんだなぁ。