「2014年のソリチュード」

 2014年3月21日、地球に一つの危機が訪れる。小惑星が地球に衝突するかもしれないのだ。ただしその確率は91万分の1。つまり、それはたぶん訪れない危機で、だからそれより大事なのは次のことだ。2014年のあなたは間違いなく、今より10歳年を取っているということ。そして、今とはおそらく別のことを考えながら、今はまだ見ぬ誰かと一緒に、様変わりした10年後の世界を、あなたはきっと生きているということ。
 2004年のあなたがそうする通り、10年後のあなたも、昔を思い出すことがあるだろう。そんなときに思い出される記憶に、この10日間はなりたい。だから私たちは、2014年のあなたを対話の相手として想定する。私たちが今どのように表現すれば、未来のあなたは私たちを思い出してくれるだろうか。
  その模索でしかないこの10日間は、その意味でほとんどエチュード(習作)だ。習作をお目にかけるのは躊躇があるけど、よかったら、2014年のあなたに振り向いてもらうにはどうしたらいいか、2004年のあなたに相談に乗ってもらいたいと思う。
          <「2014年のエチュード」 コンセプトノートより>

 この日が、2014年に向けての一日であるのは、勿論間違いのない事なのでしょうけども、そのことを考えるのは、2014年が本当に私の元に訪れてからでしょう。1994年の私は、2004年の私の事など、殆ど考えていませんでした。中型二輪の免許を取ったばかりで、大した悩みもなく、毎日ツーリングばかりしていたような気がします。

 5月11、12日の山下洋輔×菊地成孔デュオ@東大駒場は、「2014年のソリチュード」というタイトルで、「2014年のエチュード」という10日間のイヴェントのクロージング・イヴェントでした。私は秘ロと、12日の演奏だけを聴きに出掛けてきました。

 会場である多目的ホールは不思議に奥まった所にあって、昨日の雨が昼間の熱で蒸発し、風の通らない入り口付近はもの凄い湿気で、まるで初夏を思わせるような蒸し暑さでした。寒いと辛いので、厚着をしてきたのが裏目に出てしまいました。整理番号が23・24番と早かった事もあり、ほぼ正面の大変良い席を取る事が出来ました。学生の企画と言う事で、もっとだれた雰囲気を想像していたのですが、結構ピリッとしていて、硬派なサークルなんだなぁと思いました(訂正:ラブかなとはに依ると、メンバーは「義務教育生から社会人まで」とのこと)。

 予定されていた時間よりも少し押して、お二人が左右の扉から入場し、ホールの中央に作られた『演奏をするために作られた空間』で並ぶと、風格のある大人と落ち着きのない子供のようでした。

 私は、家に何枚も山下さんのアルバムがあるにも関わらず、殆ど聴いた事が無く、「ドギャギャジャダンジャンジャンゴンガン!」みたいなイメージしかありませんでしたから(苦笑)、楽しめるのだろうかと、ちょっと不安でいたのですが、演奏が始まると、きっとこれが“山下洋輔”なんだと思われる力強い、でも決して乱暴ではない世界が広がっていきました。

 前日に私は「どんな人の赤ちゃんプレイなら許せるか」 *1という話をしていて、「心の奇麗な人なら赤ちゃんに成っても赦せますよ」と言われたので、何気なく想像してみました(失礼ながら)。山下さんの方が、圧倒的に似合う気がしました(苦笑)。やっぱり山下さんの方が、心が奇麗なんだろうな、きっと。そう言う理論に基づけばですけど。

 演奏された曲の中で、私が一番好きだと感じたのは、「(おじいさんの)古時計」でしたが(確かにCDとして売るのは難しいと思います。JAZZ喫茶でしかかけられないでしょうね。間違っても、病院の待合室ではかけられない感じ)、印象に残ったのは、武田和命さんの「Our Days」でした(曲順的には、「古時計」の方が後ですが)。私は武田和命さんを小さな写真でしか見た事がありませんでしたが、出だしの所では完全に憑依しているとしか思えませんでした。見た目が似ていたんです(苦笑)。演奏は、厳粛な中にも熱が湧き出ていくような感じで、秘ロ曰く、J.S.バッハの「主よ人の望みよ喜びを」を引用したソロ(そんなに沢山のフレーズは引っ張ってなかったと思います)が、美しく紡ぎ出されて行きました。山下さんも、ちょっとこの曲だけは、他の曲とは別人っぽい雰囲気でした(今回だけの山下さんの印象、つまり、「Our Days」以外ですが、曲が始まった瞬間にnakedになる人だと感じました)。

 私が、“菊地成孔の演奏とは何か”なんてことを知っているかというのはないと思いますが、演奏が始まって、何曲経っても、少なくとも今迄聴いてきた“私の中の菊地成孔の演奏”は聴けませんでした。あくまでも、何も分かっていない素人である私の印象ですが、「お父さん(山下さん)に褒められた〜い」というファザコン的なものを感じていました。そして、実際に菊地さんはステージ上で山下さんに絶賛され(勿論、演奏として素晴らしかったから)、嬉しくて嬉しくて溜まらないという感じに身体をよじっていました。テンションはどんどん上がり、MCは脱線に継ぐ脱線で本題が何か分からなくなって行き、とうとう山下さんがピアノの椅子に座ってしまい、話を聞いてないなんていう一幕もありました。とは言え、テンションが最高潮になると、おでこがせり出してくる様に見える菊地さんですが、そこまでは行ってませんでした。

 一旦退場し、再入場してから、アンコールとして昨日今日のイヴェントタイトルである、Duke Ellingtonの「Solitude(孤独)」の簡単な解説を“東京大学教養学部非常勤講師”の菊地さんがしました。要約を更に要約すると、“神・天国”であるDuke Ellingtonと、“暗黒で地獄”であるBillie Holidayのコラボレートで有名になった曲で、詩の内容は、『あなたは去ってしまったのに、思い出は消えてくれない。だからその寂しさに苦しめられて、私は辛いの』と言うもの。未来として、待っていて欲しくない恐ろしい内容の歌です。そして、演奏に。美しかったです。

 帰りながら、秘ロに感想を聞くと、「面白かったし、来て良かった。菊地成孔は山下さんにフレーズ付きすぎだったな」と言っていました。秘ロから見ても、山下さん寄りの演奏だったんだなぁ。

 家に帰って、武田和命さんの「Our Days」が入ったレコードを探したのですが見付からず、あったのは「暖流」(1979年)だけ。更にどうしようもない事には、レコードプレーヤーが見付からなく(捨てたかも)、山下さんの「クレッシェンド」でも聴いて、お茶を濁しました。

*1:私は、集団の中で母親的立場に立たされる事が多い所為か、二人きりになると、急に赤ちゃんみたいになってしまう男の人によく遭遇してました。しかも、恋人でも無く、肉体関係もなく、キスすらもしたことがなく、近い友達でもない男性です。「キモイ〜。やっぱ、よほど近い関係にならないと、赤ちゃんプレイは許せないよね」と話ながら、色々思い出していたら、大して近くない男性でも、いい男なら許せていた、という現実に直面したのです。「やっぱり見た目なのか……」と言っていたら、たすくさんが「心の奇麗な人なら赦せるはずです。キクチさんとかNE!」と言ったのでした。